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  • 執筆者の写真若王子倶楽部 左右

第1回 公募展 講評|京都女子大学 前﨑信也



第1回 ティー・エレメント公募展開催にあたって


お茶碗でお茶を点てる人、急須でお茶を淹れる人、目の前で作られたお茶を飲んだことのある人…、どんどんと少なくなっています。この現実から導くことのできる結論は、これまでのお茶人や文化人が続けてきた、お茶とその文化を伝える方法が正解ではなかったということでしょう。もしそうであるならば、これまでと同じ基準で作品を選んでも何かが改善するわけはありません。つまり我々に求められていることとは、現代の人々が楽しむことのできるお茶のあり方を提案するということになります。


応募要項で事前に伝えられていた新しい試みには、茶道と煎茶道を中心とする多様な喫茶の道具を一緒に評価するということでした。私以外の審査員のお二人の背景もお抹茶とお煎茶です。この試みは面白い結果をもたらしました。まず、それぞれの分野でしか評価ができないものは一番になれなかったのです。

茶碗にしか見えない茶碗、棗にしか見えない棗、急須にしか見えない急須は、入賞に選ばれませんでした。これは、審査員の中山さんが急須を理解できないわけでも、佃さんが抹茶碗を理解できないわけでもありません。そういった作品の多くが、今までのルールに積極的に縛られてとても窮屈に見えたからです。


工芸品によくある漢字だけを組み合わせた作品名を付け、歴史的な名品のスタイルや技法から発展させるという方法に未来はありません。なぜなら、それを理解して感動できる日本人は既にほとんどが絶滅したからです。ですから、道具を作る人々がすべきこととは、現代の日本人が理解できるモノを作り、伝わる言葉で発信するということです。


最近、文化を仕事とする私が女子大学に籍を置いていることはとても幸運なことだと思えるようになりました。なぜなら、最新の文化に積極的に振り回されている若者の考えに直接触れることができるからです。彼女たちに共通することは、我々の想像以上にモノに興味がないということでしょう。

これだけ安いモノがあふれている世界では、高価なモノを所有することのためにお金を使う学生は少数派です。ならば大半の女子大生たちが何にお金を出すかと言えば、それは思い出深い体験のためです。


例えば、1万円近くもするアイドルのライブチケットを手に入れるために全力を注ぎ、その会場に行くためにそれ以上のお金を使うことがあります。今、我々が気づかなければならないのは、現代のお茶人が弟子を増やすために競っている相手が、かっこいい男子が3時間も歌って踊るコンサートを楽しんだ後の女性たちの高揚感であるということです。


中山さんと佃さんが私に同意されるかどうかは分かりません。しかし、お二人や、その周辺の若い茶人たちが目指す喫茶文化の変革とは、そういった人気エンターテイメントとファンを取り合うくらいの体験を提供する努力をしなければならない。そうでなければ、勝負の入り口にも立つことができず、今までと同じように負け続けるからです。


このお話を踏まえて今回の受賞作品をみると、そこには共通点があります。これまでのお茶の道具の皮をかぶりながら、本質はまったく別のものであろうとする作者の意思がにじみ出ている作品であったということです。そこに我々は未来への可能性を感じました。

それが、入賞となった3点に対する言葉です。


これまでの喫茶文化は、複雑な歴史と、難解な言葉をもてあそびすぎました。私が伝えたいのは、専門家しか分からない言葉で説明することはいらないということ。歴史的な名品のコピーは、オリジナルに勝てる自信がない限りしてはいけないということ。現代の何もお茶を知らない人が楽しいと感じる体験を生むモノをつくるということ。この3つです。


多くの方に心のこもった作品をご応募いただきました。

本当にありがとうございました。


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