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  • 執筆者の写真若王子倶楽部 左右

第2回 公募展講評|佃 梓央(一茶庵宗家嫡承)



『作品と他者との間をイメージすること』

佃 梓央 (一茶庵宗家嫡承)


「工芸品」という、いわば「モノ」を審査させていただく公募展なのに、「『モノ』は無くても大丈夫です、ぜひ『お話』だけ聞かせてください」という主旨の1次審査をさせていただきました。

それゆえに「いったい何を審査されるのだろうか」と多くの方が不安を抱いていらっしゃったのではないかと思います。


実は審査をさせていただいてる私たちにとっても、このZoom審査の意味は、審査の中でだんだんと明らかになっていきました。皆さんとともにこの審査の意図が分かっていく感覚はやっていて本当に楽しいものでした。この審査会の中でわっかってきたこの審査の意味とは、つまり、「あなたが制作になる『モノ』は、『他者』とどのように関わるのですか?その関わり方のイメージをお聞かせください」ということだったのではないかと考えています。


あなたが作る『モノ』自体ではなく、あなたが作る『モノ』が『他者』とどう関わろうとしているのか、つまり、あなたの作る『モノ』と、それを受け取り、使う『他者』とのいわば『間』を、あるいは、あなたの作る『モノ』と、喫茶の場でその横に置かれるであろう別の『モノ』との『間』を、どのようにあなたがイメージされているか、ということを最終的には語り合っていたのではないかと、今、振り返って思っています。


面白い造形から生まれる『驚き』を他者と「モノ」との「間」に置こうとするご提案をされた方、漫画やアニメのエピソードから生まれる『共感』を他者との「間」にされようとした方、古典文学の教養を知ることで生まれる『喜び』を他者との真ん中にイメージされた方、またはご自身の個人的体験による『思い出』を他者との真ん中に投げかけられた方、様々でした。その一つ一つはどれをとっても面白く、私たちがとやかく申し上げる問題ではありません。


私たちが審査の中でアドバイスさせていただいたのは、皆様の思い描く「間」から逆算してみたときに、ひるがえって「モノ」自体をこうしてこう工夫してみれば、もっとよりよく「間」が完成してくるのではないかという一つのご提案だとお思いください。

様々な分野で、何もない余白の部分、ゆとりの部分を「遊び」と言ったりしますが、何かと何かの「間」を要は「遊び」と言い、その「遊び」が豊かであればあるほど全体が充実してくるものです。喫茶の場における、「余白」「ゆとり」「間」「遊び」、そういう部分の膨らみを楽しませてくれる『モノ』を、ご制作いただけることを、2次審査に向けてお待ちしております。



Profile

一茶庵宗家 佃一輝に師事。和泉市久保惣記念美術館「楽しい煎茶会」などで茶席を担当。泉屋博古館「文房具と煎茶」展の監修、グランフロント大阪ナレッジキャピタル超学校「『集まり』と『交わり』の文化論」をコーディネート。

G20大阪サミット2019「配偶者プログラム」で茶事を務める。


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